1937年からのメッセージ
「明大 渡辺 伊藤 大角 佐藤 1937.8.10」
千葉の南端の山の中、
絶壁に刻まれた文字。
1937年、昭和12年。
いまから84年前ですね。
文字が刻まれた1ヶ月前の7月には盧溝橋事件が、
その3日後には、第二次上海事変が勃発。
ナチスドイツによる
そんな血生臭い時代から地続きの今、
見上げたその場所に、ただただ文字だけが残っていました。
歴史のロマンと呼んで良いのかどうなのか。
しかし、時間があったら探ってみたい。
明大の渡辺、伊藤、大角、佐藤ってどこの誰なのか。
なぜそこに、何の目的で、どんな思いで彫ったのか。
ただの落書きだとしても探ってみたい。
4人はその後どのような人生を歩んだんでしょうね。
1937年に明大生(当時の大学生だからかなりのエリートなんでしょうか)
ということは卒業と同時に徴兵の対象ということになるんでしょうか。
※学徒出陣は1943年〜
探究心がくすぐられますね。
機会があったら辿ってみたいと思います。
(大角(六角?)・・珍しい名字ですよね。辿るとしたらここからでしょうか)
というわけで、前置き長くなりましたが
コロナ禍で、最近身近な低山を登ってます。
千葉の房総に位置する素晴らしき低山、鋸山。
楽しいですね。低山。
楽しき低山レポートとして次回からだらだら書きたいと思います。
槍ヶ岳でカオマンガイをつくる、の巻(2)
先に言っておこう。
槍ヶ岳におけるカオマンガイ。
これはいつになく最高の出来だった。
飯ごうをガラガラいわせながらバックパックに背負い、
これをバーナーで沸騰させ、米を炊く。
高地は言わずもがな気圧が低い。よって沸点も低い。
槍ヶ岳山荘は実に標高3080mだ。
自分で言うのもなんだが、
ここで炊飯を成功させるのは割と難易度が高い。
だが何回も山で米を一から炊いているうちに感覚が宿った。
勘だ。
誰にも共有できないし、引き継ぐ事も出来ない。
勘で米を炊いている。
カオマンガイ×槍ヶ岳
カオマンガイ、今回は
事前に家で仕込みをして持ち込んだ。
レシピは以下の通り。
■材料
・鶏もも肉:1枚(これを細かく切って冷凍。登山中の解凍を狙う)
・米:2合
・水:2合よりもやや少なめ
・塩:一つまみ
・鶏ガラスープ:小さじ1
※塩と鶏ガラスープはあらかじめ混ぜて持参
■タレ
・醤油:大さじ2
・穀物酢:大さじ2
・すりおろし生姜:小さじ2
・ごま油:小さじ2
※これを事前に混ぜ、ペットボトルに入れて持参。
当時は夏場。
鶏の持ち込みにはやや勇気が要ったが、
冷凍に加え、ジップロックに保冷剤をぶちこんで持ち込んだ。
そして8時間半の熾烈な山行を経て、(前回参照)
槍ヶ岳山荘到着は17時過ぎ。
着くやいなや、さっそく調理を開始する。
飯ごうに米、水、塩と鶏ガラ、解凍された鶏ももをぶち込んで炊く。
夕日に照らされる槍のピーク。
美しいその姿をバックに、ひたすら炊く。
・・・寒い。
夏なのに気温は1ケタ台だ。
・・・炊く。
でも寒いので飯ごうを置いて山小屋に引き返す。
しばらくして戻る。夕日の槍を見上げる。
・・・飯ごうを見守る。
でも寒いから小屋に戻る。
焼酎を飲む。炊いているのを忘れて慌てて戻る。
・・・なんてことを繰り返しているうちに、
フタからあぶくが滴り落ちる。湯気が出てきた。
かすかな米の匂い。
ここからはしつこいようだが勘だ。
勘でここぞというタイミングで飯ごうをひっくり返す。
しばらく蒸らしてフタを開ける。
・・・・・・・か、完璧だーー!
繰り返すがこれは勘だ。
勘なので誰にも引き継げない。
コツは墓場まで持っていくことになるでしょう。
そして、言っておく。
炊きあがりは最高だった。だが、写真が最悪だった。
寒すぎた。
寒すぎて、見栄えを整える気持ちがゼロだった。
結果、生ゴミみたいな見栄えになってしまった。
でもね、旨かったのよ。ほんと。旨いのよこれ。
ぜひ皆さんも試してください。
槍ヶ岳登頂
さて、話は本題の槍ヶ岳登山。
夜明け前に目が覚めた。
ふいに外に出てみようと思った。
山荘から、まだ暗い槍ヶ岳山頂を見上げると、
ヘッドライトがチカチカ、山頂を目指して登っている。
こんな未明から?あの断崖絶壁を?真っ暗なのに?
命知らずもいるもんですね。やはり経験がなせる技なんでしょうね。
まだ槍ヶ岳お初なこちらとしては、ただ驚くばかりでした。
技術と勇気に敬意を表したい。
さて、すっかり夜も明けて朝。
我々もいよいよ槍ヶ岳山頂を目指す。
メットをね。借りられますよ。山荘で。
というか借りるか持参しないと山頂を目指すのはダメ。
命に関わります。
外から見てると、こんな断崖を登れる気が全くしなかったのですが、
いざ登り始めても、そんな気はまったくしませんでした。
ほんと、割とずっしりと”切迫した命の危険”を感じた。
下を見るとさっきまでいた山荘があんなに小さい。
岩場を鎖を伝いながら、そして時には素手でよじ登る。
ハシゴは垂直。本当に垂直。
ここにハシゴを掛けた人を心からリスペクトしたい。
そう思いながら一歩一歩、極めて慎重に山頂を目指す。
ーーーーーーそして山頂。
槍ヶ岳、標高は日本で5番目。
3180mの頂からは、北アルプスが一望できるのはもちろん、
遥か八ヶ岳、富士山までもうっすらと。
空気が澄み切っておりました。
本当に、空気が澄んでいた。なんだろう。あの空気は。
ああ、ついに槍を登ってしまった。
次はいったい何を目指せばいいのだ。
そんな喪失感さえ芽生えるくらい、なんと偉大な山なのか。
槍ロスです。
でも次はもう少し腕を上げて、
別のルートでぜひ槍にアプローチしたいもの。
リメンバー、槍。
そして次は、もう少し、飯ごうの写真をちゃんとしたい。
その思いも込めて。
槍ヶ岳でカオマンガイをつくる、の巻(1)
アルプス一万尺の「アルプス」は
日本アルプスのことであると知ったのはつい最近のことだ。
一万尺=約3030m、
日本アルプスの山々の標高がだいたい3000m級であることを考えると
なるほどそういうことなのか、と。
ちなみに
「アルプス一万尺、こやりの上で、アルペン踊りを踊りましょ」
の「こやり」は
槍ヶ岳のそれであることも。
こんなところで踊るなんて。なんてワイルドな。
そんな話はともかく、
槍ヶ岳。
山に心奪われるものにとって、
これほど心揺さぶられる山があろうか。
天を突く「槍」のピーク、
そのシルエットは北アルプスの中でも圧倒的な存在感を放つ。
そうだ。槍へいこう。そう思い立った。
槍へいくのだ。
槍で、カオマンガイを作るのだ。
というわけで
今回は槍でカオマンガイを作る話です。
上高地は遠い。
今回のチョイスは上高地ルート。
本来は2泊3日のところを休みが取れなかったので強気の1泊2日で攻める。
泊地の槍ヶ岳山荘まで、片道11キロ、実に9時間。
そうすると、逆算して登山口の上高地には6時。
未明、漆黒の新宿。
計画的な我々は、逆算に逆算を重ね、
午前3時、上高地へ向けて颯爽と出発した。。。
はずが、盛大に寝坊をしたので仕切り直し。
空も白みかけた午前5時。
遅ればせながらもわれわれは一路中央道をかっとばし、
目を充血させながら上高地へ向かったのだった。
「え、いまから?」
当然されるであろう最初のリアクションはタクシーの運転手さんでした。
上高地はご存知の通り
一般車輛の乗り入れが不可。
よって手前の駐車場に車を止め、バスかタクシーで上高地入り。
我々は沢渡の、大駐車場からタクシー。
信頼と実績のアルピコタクシーの運転手さん。
今日はどこまで?と聞かれて、「槍まで」と。
「ああ、槍沢ロッジに泊まるのね?」
と聞かれて
「いえ、槍ヶ岳山荘まで一気にいっちゃいます」
と言った時のリアクションが最初のそれでした。
まあそうでしょうね。
なお沢渡の大駐車場から上高地まではタクシーで4500円。
まあ複数人で乗り合えば妥当な値段だと思います。
(タクシー会社により変わる可能性あり)
上高地コースの序盤は平坦。早歩きでタイムを縮める
そんなこんなで登山開始は9時ちょうど。
河童橋を越え、目の前に雄大な穂高連峰を見ながら、
梓川沿いをずいずい進みます。
今回のルートは
上高地から徳沢、横尾を経て、槍沢ロッジを抜けて
槍ヶ岳へ向かうルート。槍の登山ルートとしては一番危険が少ないルートながらも
一番遠回りなルート。平均タイムは9時間とのことでした。
前述の通り、
普通は槍沢ロッジで1泊、槍ヶ岳山荘で1泊、
計2泊3日なんですよね。
開始時間が遅かったので槍ヶ岳山荘に相談すると、
槍沢ロッジ通過の時間が14時を越えていなければ、山荘の到着タイムとしては安全圏とのこと。
まずは槍沢ロッジ14時。これを目指して歩を進める。
上高地から明神池、そして徳沢、横尾までの数kmは、
起伏がほぼない平坦なルート。
なので基本休憩なしの早足でがんがんタイムを縮める。
そして横尾到着。
ここが涸沢方面と槍ヶ岳方面の分岐。
そしてここからようやく起伏が出てきます。
森林の程よい木陰と、梓川の水音を横で聞きながら、槍沢ロッジを目指す。
槍沢ロッヂ到着
結果、槍沢ロッヂ到着は目標タイムから一時間早い13時。
まあ、やればやれるもんです。
ここでしばしの休憩。昼ご飯はマフィンにチーズ・ハムを挟んでぱくり。
本当はここでバーナー取り出して、マフィンをあぶったり何かして、
チーズをとろけさせちゃったりして、満喫したかったんですが、、、
そんなことをしている時間はないわけで、
バーナー遊びはお預け、よってあぶりもなし、
ぱさついたマフィンにチーズとハムをどかっと挟んで、口に運んで終わり。
何とも味気ない。まあ旨かったですけどね。
山の醍醐味に「山メシ」を掲げているはずの我々が、
なんとドライな昼めしを・・・・。
もっと山メシに豊かさを!!!
やはり、山行は計画が全てですね。
ちなみに槍沢ロッヂ、なかなか規模は大きく、
お風呂なんかもあったりで、山小屋にしては充実してそうな雰囲気でした。
なお食堂も併設されており、宿泊者以外でもご飯が食べれます。
ランチメニュー、カレーやらラーメンやら中華丼やら、種類は違えどそれぞれ1000円。
まあ思ったより手頃なんじゃないでしょうか。
我々は滞在時間15分くらいでしたが、
お気になった方はぜひ。
さて槍沢ロッヂに別れを告げ、
梓川沿いをさらに進みます。
梓川沿いを進むと、そこには・・・
徐々に開けてくる山々。
そう、我々はいま渓谷沿いを、梓川に沿ってうねうね歩いているのだと実感できます。
(雪とかみえてきます)
最初、槍ヶ岳が見えるまでどれが槍なのか
分からないまま、なんとなく歩いていたんですが、
渓谷のうねうねを越えると、真っ正面に突如、槍ヶ岳の「槍」が姿を現すんですね。
一目みて、男前だなーと思います。
これがうわさの槍か。と。
ちなみに渓谷はとにかく日差しが強い。遮るものがない。
夏はかなり灼けると思います。あと水分と塩分補給はマジでこまめにしないと熱中症になります。
塩分と水分は絶対マメに補充しましょう。
槍の中腹にに辿り着くまでにダウン、なんてことにも成りかねないので
ここは注意。
まだまだ終わらない。槍ヶ岳山荘までの自分との戦い
槍の中腹にようやく辿り着いても
ここからがさらに長い。気を抜かないように。
最初、槍ヶ岳山荘かなー、あそこまで歩けば到着かなーなんて思ってた小屋が
実は別の小屋だったりします。(殺生ヒュッテ)
ゴールの山小屋かと思いきや
気持ちが折れがちですが、ここはぐっともう一回気持ちをリセット。
槍ヶ岳山荘はその昔、「肩の山荘」と言われていただけあって、
槍のピークの左肩(槍沢方面を背にして)稜線にちょこんと乗っているわけで、
稜線まで登りきらないと栄光のゴールは切れません。
とにかくとにかく
槍の肩を目指しながら、ジグザグに中腹を登り続けます。
しかしながら、中腹からの槍のピークの美しいこと。
この景色を見ながら登れるのであれば何も苦しいことはない。(と今は思う)
そして・・・・上高地から8時間半。
槍沢ロッジから4時間半。
ようやく槍ヶ岳山荘に到着。
到着時間は17時半でした。まだ夏だったからね。(7月)
許される時間ではあったけど、まあまあ危ないタイムではありました。反省。
しかし、到着後、客のおっちゃんが驚いてたなあ。
「どこから来たの?え?上高地?1日で?」
タクシーのおっちゃんから数えて2人目。
リアクションいただきました。恐れ入ります。
タイのごはんですね。
これを飯ごうで炊きます。
そして槍のピークに挑戦します。
ブログの更新しないまま、山行増えて、年越える。
ブログを更新しないまま半年が経ってしまった。
ブログを始めるときに
「どんなにカンタンな内容でも、続けることに意義がある」と
どこかのサイトに書いてあった。
だが、そんなマメなことが出来るワケがない。
むしろマメにブログを更新している人に言いたい。
すごいね。って。
ああ、ブログを更新しないまま
記録に残していない山行だけが増えていく。
あそこも、ここも、
当たり前だが書かないとゆっくり記憶が薄れるわけで。
極めて薄い、薄さが持ち前の山行ブログになってしまう。
(もうなっているかもだが)
そんな焦る思いを込めて。とりあえず写真だけアップ。
そう。とりあえず。
本年も山を楽しく、元気よく。良い年になりますように。
そう。ゴールはゆるく、キリマンジャロだ。今も。
”死の行軍”と執念のカレー自炊 〜瑞牆山・金峰山縦走〜(2)
ふと思う。
今でこそ、この山行よりも
標高、勾配、登山時間、どれを取ってもキツめの登山を経験しているが
それでもまだ記憶の中で、この縦走が一番つらい思い出になっている。
なぜだろう?と。
たぶん、それは
登山中に「心が折れてしまった」から。
この時の山行で圧倒的に悪い点がひとつあった。
それは、”あと何時間で山小屋につくのか?”
という計算を甘めに読んでいたがために感覚が狂い、心の余裕がなくなったこと。
ルートは外さずとも、”心の遭難”をしていたんだろうと思う。
これはある意味物理的な遭難よりも怖いかもしれない。
余裕の瑞牆山
山頂付近に近付くにつれ、ガレ場が目立つ。
初日山行の予定は、まず瑞牆山頂を目指し、休憩のち下山。
分岐の富士見平小屋まで下って、
その足で即、金峰山登山を開始。
当日夕刻までに宿泊先である山小屋、金峰山小屋を目指す、というもの。
地図上の数字だけではざっと7時間。
そして、おそらくこれは”縦走”ではない。
体感的にはただ単に2,000m級の山を立て続けに二つこなす、と言ってよい。
しかも1日で。
なんとも強気なルートを取ったものだと今でも思う。
登山口の瑞牆山荘から登山を開始して約45分。
富士見平小屋にぶつかる。(標高1816m地点)
我々は瑞牆山頂に登頂後、またここまでいったん戻るわけだ。
富士見平小屋から歩いてすぐのところにも湧き水があり、
ここで飲料水の補充が可能だ。
瑞牆山は後半、山頂付近の大ヤスリ岩を
前方に見ながらの山行になる。
ガレ場好きにはたまらない景観。 おのずとテンションもあがる。
富士見平小屋から瑞牆山頂までは2時間ほど。
山頂ではコーヒー豆をひいて、
沸かしちゃったりする余裕も。そう。このときはこれくらいの余裕があった。
「あそこらへんが山小屋かなー」
なんていいながら美味しくコーヒーをいただいちゃう余裕。
今思えば、この時点からやや時間感覚が狂っていたのかもしれない。
はじめての縦走。
縦走の場合、地図上の単純合算で時間を見積もるのは危険だ。
実際には疲労や体調によりスピードに影響があるはずで、
やはりここの感覚はまだまだ甘かった。
地獄の金峰山、稜線をゆく
さて、一行は瑞牆山を富士見平小屋まで下り、
金峰山を黙々と登り始める。
正直、本当にきつかったのか、
ここの記憶は曖昧だ。
登山中の写真も、この部分はすっぽり抜け落ち、
撮る余裕すらなかったのか、まともな写真が残っていない。
唯一覚えている記憶が
はあはあ言いながら力を使い切り、登りきった先。
てっきりそこを山頂とばっかり思い込み、全ての力を出し尽くしたのだが、
そこは山頂ではなく稜線の一番端だったこと。
そしてここで完全に心が折れたこと。
そしてそこから1時間〜2時間ほど心が折れたまま
稜線を歩き続けたこと。
疲労から時間の感覚が完全に狂い、
山小屋までの到着タイムを見失ったこと。
心が折れた状態で、且つゴールまでどれくらいか分からないまま
ただ黙々と数時間歩き続けるということ。
それは苦痛でしかない。
もはや記憶が曖昧なので曖昧のまま書くが、
おそらく到着時刻は16時くらいだったのではないだろうか。
朝の5時に登頂開始。
だとすると11時間歩き続けたことになる。
しかも後半数時間は心が折れた状態で。まさに地獄の行軍だ。
いや、行軍なんて格好いいものではないかもしれない。
敗走だ。これはまさに山からの敗走だった。
命のカレー。執念の自炊
山小屋の写真がない。
たぶん疲労困憊で撮るどころではなかったのだろう。
それでも、半ば今回の目的であり、
ある意味疲労の原因であった機材を山小屋のテーブルにばらばらと並べる。
カレー。
地上さながらのカレーを作る。
それだけは、それだけはどうしてもやらなければ。
だってやらないと何故来たか分からないから・・・
それはまさに執念だった。
ここからはダイジェストで。
・・・どうでしょうか?
ほんとにただ、カレーを作ってるだけですよね。
特に何のひねりもないです。
ただ、本来であれば軽量化とか、
何かを妥協するとか、何かしらの配慮が働き、
コンパクトな山仕様のカレーであるべきところ、
ふつーーーーに、
ほんとにふつーーーーーに、地上のカレーを標高2500mあたりで
再現したこと。
山小屋のお兄さんには
「頭おかしいんじゃないの?」と失笑されましたが。
この点はまあ、ユニークと言えばユニークなんでしょうし、
やろうと思えば出来なくはない、ということを実証できたので良かったです。
もう二度とやりませんが。
ちなみに焼酎は疲労から飲み干すことも出来ず。
翌朝山小屋のお兄さんに寄付して帰ってきました。
お兄さんも喜んでた(ようにみえた)し、
まあ、800ml、運んだ甲斐があったもんです。
金峰山小屋
そんな金峰山。
まあ悪い記憶が大半なのですが(自分たちのせいで)
山自体は素敵なところなので
最後に山頂の写真を並べて今回はお別れです。
ありがとうございました。
山に感謝。
”死の行軍”と執念のカレー自炊 〜瑞牆山・金峰山縦走〜(1)
人の記憶は時間が経つほどに、ある一点だけを強調したまま風化すると言う。
それは、極度に美化されるか、またその逆もしかり。
我々のパーティーにとって未だに強烈に記憶に残っている山行がある。
呼び起こされる記憶は、単に”つらさ” の一点のみ。
色々なことがあったと思うが、もはやその印象しかない。
「山で何かを作って食う」ということに
悪い意味で自信を持ち、ハマり始めた頃の、”一番調子に乗っていた頃”の話。
今回はそんな頃の話をひとつ。
謎の重装
2,000m級の山を数本こなし、山に食材を持ち込むことにすっかり慣れ、
自信と心地よさを感じ始めていたころ。
今度は山でカレーを作りたい。
平地キャンプでやっている、本格的なカレーを。
タマネギもニンジンも。一から煮込む。
そして飯ごうも、鍋も持ち込んで作ってみたい。
まさに無知ゆえに無敵の発想。そんなことを漠然と考えていた。
そして我々は当時、”縦走”というものをしたことがなかった。
それもやってみようと。
”縦走”をする、という表現に憧れ、
なんとなく候補に挙がったのが山梨の北西部に位置する、
ここを、鍋やら飯ごう、バーナーにボンベ、そして食材・酒をもりもり担いだ、
謎の重装備にて1泊2日で攻める。
今思えばこれはもはや山行ではなかった。”行軍”に近い。
自己満足と、自信過剰さゆえの目的なき行軍。
この”行軍”は今のところ、我がパーティー最悪の記憶となって
おのおののハートに刻まれている 。
”行軍スタート”
山梨北西部・奥秩父の山域に位置する山塊。
れっきとした百名山であり、山頂からは富士山や南北アルプスを見渡せる。
未明の中央道から須玉ICで高速を降り、
5時前に登山口である瑞牆山荘へ。ここの無料駐車場から全てがスタートする。
この日の参加者は4名。
登山前に全員の持ち物チェック。
鍋(カレー用)
飯ごう
バーナー×4
ボンベ×4
クッカー×4
タマネギ(冷凍)
ニンジン(冷凍)
豚肉(冷凍)
米(三合)
水(料理用)
水(飲料用)×各人
酒(芋焼酎800ml)
全員が全員、”山で何かを作りたい”という気持ちが強すぎて、
どうしても一人一台、バーナーとクッカーは絶対持ち込んでしまう。
これはどうしてもそうなってしまう。いまだに。
で、全員がどこかでそれを使う場面を探して、
毎回おのおの、「ちゃんと使う」。
なので、この日も機材はもちろん、食材についても
誰からも減量の突っ込みが入ることなく、全て山へ持ち込むことに。
強いて言えば、酒の量が多いのでは、という異議はあった。
が、それも束の間、一笑に付されて終わる。
繰り返すが、無知とは無敵だ。無敵艦隊だ。
かくして、空が明るくなった午前5時半。
無知で無敵の行軍はスタートしたのである。
山梨県北杜市(旧北巨摩郡須玉町)にある標高2,230mの山で、奥秩父の山域の主脈の一つ。旧須玉町域の最北部にあたる。日本百名山のひとつ。全山が黒雲母花崗岩で形成される。南西部は風化や浸食の影響を受け、独特の岩峰が聳える景観を作っており、地元ではコブ岩と呼ばれる。
山梨県甲府市と長野県南佐久郡川上村の境界にある標高2,599 mの山である。別名「甲州御岳山」。山頂部は開けていて360度の展望があり、「五丈岩」という大きな岩がある。
”死の行軍”と執念のカレー自炊 〜瑞牆山・金峰山縦走〜(2)へ続く